和歌山展覧会・小野町デパート

「いにしえ」というニュアンスの単語が、ほしかったのですが
「ancient」としました
邦題は「とり の とぶたかさ」です

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世の中は風化してゆく出来事で溢れているかもしれない
しかしながら ときとともに輝きを増す記憶は糧となるだろう

素晴らしきことは いつまでも新しい
いつも自らとともにあるから
なにも古いものなどない
石垣も家も 
人が住めば家は息をふきかえす

巷では 遅れている人とか 古い人とか言うけれど
遅れているひとはいない  人は古くならない  古いひとなどただのひとりもいない
ひとは傷つく
ひとは老いる
けれども なお人はあたらしい
だれひとり時代遅れにも成らず 老若男女もれることなく だれもがみんなあたらしい
今よりも一秒未来を生きている人も 今よりも一秒過去を生きている人も ただのひとりもいない
ときとしてわたしたちはバラバラに居るように見えるけれど
たった今産まれた赤ん坊も 明日旅立つ老人も
世界中のすべての人が寸分の違いもなくまさに時代の最先端を一緒にいきている

だから 人は いつもあたらしい

あのまちのじかんと 此処の時間はちがうのだろうか
たぶん それぞれのひとには 絶対に壊れないじかんというものがある
海たる海 空たる空 は いま ここにある

記憶をたぐるときに光がやってくる
古からの光に足下を照らされて いまを生きている 

もしも 今 失うことがあるとすれば
失ったものをそのままに知ることによって
この記憶を光にして また未来へと投げることはできないものだろうか